断言しない大人たち。逃げの言葉が日常化する弊害。

  確定事項であっても「の、ようです。」と話す大人たち。

自分の発言に逃げる余裕を持たせるのが当たり前の様に目に入ってくる。

ああ、なんだか、曖昧すぎる世の中になったものだなと思う自分はウザい存在なのだろうか。

「です」「ます」で伝えて問題ない場合には、自信を持って語ればいい。

責任感と自信を持って話す大人が、今すぐに求められている。

このままでは、この環境が当たり前な子供たちの成長が心配だ。

曖昧な表現が無難、ハッキリ発言するのは危険、そんな感性がすでに生まれている。

SNSで叩かれない為に。

その風潮も問題だ。

少し言葉を誤って使えば揚げ足を取られる。

全く嫌な世の中だ。

人間の嫌な部分を引き出すネット社会の弊害とも言えよう。

だが、そこで人に優しく、責任を持って生きていくことこそ、人なのではないだろうか。

そんな気がしてならない。

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